岩明 均の漫画『寄生獣』のワンシーンで極めて印象に残っているシーンがある。この漫画はある時、人間の体に寄生する生命体が現れ、人間は食われる立場になる。寄生体は人間の脳をはじめにのっとるのだが、一匹の生命体があ偶然にもそれに失敗して、主人公の右手に寄生してしまうことから二人は共生せざる得なくなる。そこから他の奇生体と戦ったり命を狙われたりと様々なことがあるが、最後に右手に寄生した生物(ミギー)がいままでとは別の生き方が可能となり、眠りながら生きているような感覚で生きられるようになって右手という物質を使用せずとも生きることができるようになった旨を主人公に伝える。

 

この生き方がどのようなものなのかとても引っかかる。自分は当然人間としてうまれたことになっており、事実そうとしか思えないが昆虫や植物がどのように生きているかを内的に体験できないもんかなと思う。人間であっても少し前に自分が考えたことを再考すると何故自分がそのように考えていたかわからないものではなかろうか。再考するといってもそれは時間が経ってから反省したものでそのときの自分は再考するようには考えられなかったはずだ。そうなると昆虫や植物やミギーとまでは言えなくとも、自分もまたいくらか異質な存在であるように思える。大体「自分」って言葉自体が一人の人間の心に一貫したものがあるという前提がある。一貫性がなくなると病気ということになるのか?

 

話がまた支離滅裂になりましたが、あと4日で秘密の宮廷です!ムシャクシャしてても、しなくても遊びにきてください。

 

237イッパイアッテナa.k.a DJ PROSTITUTE

 

Caetano Veloso (1969)- Lost in the Paradise  http://www.youtube.com/watch?v=mRaFFVvGG5E