イベントという事は「催し物」。パーティーという事は「社交の為の集まり」。
では秘密の宮廷ゴールデンタイムは?と問われると「提案型総合ベクトル対応研究」と言ってはみたものの、つまりは『祭/大騒ぎ』なのではないか。
結局最初は何事も解らないもの。解らないからこそ解った時の喜びはとてつもないものになる訳で。
『祭』は予期せぬ解らぬものと、解りきっているものが平等に並べられているから素敵なのです。そしてワクワクするのです。『祭』なら何が出てきても許される気がするのです。
HINACLEとは学生の頃から結局こうやって同じ事を言いながらやり続けている訳で気がつくと余裕で干支も一回りしているのです。
よくもまあやってます(笑)。
もっと楽しいものを見つけたいと思いませんか?僕は思います。常に楽しんでいたい。もし、コレを面白いと思う事が出来たなら、今よりももっと価値のある事だと思います。もしコレを「バカだなあ、ぎゃはははは」と笑う事が出来たなら別の楽しみが出来ると思います。切り捨てるのは勿体ない気がするのです。
『扉や引き出しは沢山持っていた方が良い』
使い方や時と場合を上手に選択すれば良いだけで。
つまらないって思う事が多いよりも面白いって思える事が多い方が良いでしょう。ストレスも少ないですよ。
まあ、それでもつまらない事はゴロゴロしてますけど。
捨てるよりも引き出しの奥にしまっておけばいつかは役に立つかもしれないでしょう。
自分には出来ない事をやってのけていることは、それ自体が自分の趣味に合う合わないは全く別の次元の問題として、もの凄い事だと思います。
それらを自分の身近な価値として大切にしておけるなら何と幸せな事でしょうか。
僕はそう思いたい。全てにおいて楽しみたい。
少なくともこの『秘密の宮廷ゴールデンタイム』では妥協など一切していない。選りすぐりの出演者が選りすぐりの方法で選りすぐりの楽しみを選りすぐってくれるんです。身の回りにこんなに素敵な人がいたなんて。
地方の味ってのが良いんです。それは「時代との距離とかフィッティング」という事ではなく、【特産品】なんです。都会の人はわざわざ地方に美味しいものを食べに行くでしょう。そういう事なんです。地方の美味しさがあるんですよ。美味しいものは自分の足で見つけるでしょう。Googleで検索した美味しいって情報のお店に行ったけど好みに合わなかったってことはあるでしょう。そういうことなんです。
それが悪いという事ではないですよ。それ以外に幾らでもあるってことです。検索にヒットしないものは幾らでもあるんですよ。いつから人はインターネットのみを価値の判断基準にするようになったのでしょうか。
この文章自体インターネット経由で読まれているので矛盾しているように見えますが、僕は全くの否定をしている訳ではなくて、言いたいのはもっと自分で探して直接説触れる機会を増やすともっと良い事があるってこと。
明日の楽しみを一緒に分かち合う事が出来たなら、きっともっと沢山の楽しみを見つけられる機会が増えるだろうなってことなんです。
秘密の宮廷ゴールデンタイム : AGAGA