認識至上主義はニュートラルである。また超道徳的であって無倫理である。しかし、ニュートラルでありえ、無倫理でありえているのは、行動に自己を投入しない以上当然のことであり、行動はいやでも中立性の放棄と倫理的決断を要求する。それがいやだから行動しないという心理は、行動しないから行動を永久に恐れるという次の心理に至って、悪循環に陥る。この悪循環がオートマチックに働いて、その動きが物理的法則を形づくる。そこには認識と行動の乖離がはじめから予定されているのであるから、知行合一のような哲学は、はじめから無意識裡に忌避されているのは当然であろう。一寸した薬味の利いた、薄荷のような淡い反体制的な感情が、拡大された中間層の基本的色調になるであろう。(三島 由紀夫『革命哲学としての陽明学』より)